≪新しい哲学を語る≫

今日のお題は「新しい哲学を語る」

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3日、日曜日から喉が痛く感じ、風邪をひいた。
病院は文化の日と重なり連休だったので、市販の風邪薬を飲んでいた。昨日近くの病院にいって風邪薬を貰ってきた。昨夜は27度ほど微熱だったが、今朝は26.5度と平熱だけど、今日は仕事は休みなので、ゆっくりと休養する。

さて、先日から読みだした「新しい哲学を語る」を紹介します。





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「人には利他を説けても、自分は利他を貫けない日本の経済者」より

それは、先ほどの政治家にしても、そのような文学者にしても、お釈迦様がおしゃった煩悩のなかの三つの大きな毒である、貪(貪欲)、槇(怒り)、痴(愚痴、妬み、恨み、嫉み)のなかで生きているからではないでしょうか。それから一歩抜け出せば、正しい判断を下すことができるはずです。

天台宗には「忘己利他」(もうこりた)という言葉があります。昔、天台宗座主であられた、故山田恵諦さんと比叡山で対談をしたころがあります。そのときにお聞きした言葉なのですが、「自分を忘れて、人様のために尽くしてあげるという、仏の教え」です。読み上げると「もう懲りた」とも聞こえるからですから、それを引っかけて「物やら、何やら、物欲を追求することはもう懲りた。今後は、自分のことはさておき、人様のために尽くしていかなければならない」と理解するようにすべきだとも教えていただきました。


多くの人はこの「利他」をいうことの大切さを知っています。人生のなかで大事にしなければならないとも考えています。そして、先ほどいったように、自分や会社にとっては無関係な事柄については、簡単にその崇高菜精神が出てくるのです。

ところが、ことが自分の会社に及んでくると、見事なぐらい利己に変わってしまうのです。あまりの変質ぶりに「あなたが昨日いっていた、利他の精神は、その件は通用しないのですか」と聞きたくなるような人がたくさんいます。自分を守るために、利己だけでも論理を展開し、自分にとって不利益になることはいっさいやろうとしないのです。そこに大きな問題を感じます。
人間とは欲の塊であるかのような、そのような悲しい存在であってはならないはずです。





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私が思う「相手の立場になって常に対応する」「誠心誠意、ここのこもった丁寧な対応」この言葉はよく聴くフレーズです。特にサービス業となるとお客様との対応しだいで苦情になることもある。

相手がいることなので「自分は無」の状態でないといけないと思うし、欲をなくすことが大切である。他利の心では絶対いけない、いつも利他の心の状態を保っていなくてはなるまい。難しいように思えるが、常に利他の心であることを思っていれば、かならずできると思うこのごろ。

私も一応サービス業に含まれる仕事を現在行っています。会社の教育でも「相手の立場になって常に対応する」「誠心誠意、ここのこもった丁寧な対応」など書かれたテキストが配布され、教育されます。意味は理解できるが、実際現場ではこのような実践されているだろうか。なにごとも努力が必要であると思う。





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一生懸命働くこと、感謝の心を忘れないこと、善き思い、正しい行いに努めること、素直な反省心でいつも自分を律すること、日々の暮らしの中で心を磨き、人格を高めつづけること。すなわち、そのような当たり前のことを一生懸命行っていくことに、まさに生きる意義があるし、それ以外に、人間としての 「生き方」はないように思います。※稲盛 和夫さんの著書 「生き方」 人間として一番大切なことより抜粋 


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