≪日本人が豊かさを実感できないのはなぜか≫


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昨日は朝から秋の空がまばゆいばかりに、青々した空が気分までもすがすがしくさせてくれた。公園横の図書館に自転車で弁当を持って出かけ、最近夢中になっている、京セラ、KDDI創業者稲盛和夫氏の「哲学への回帰」を借り、公園で弁当を食べながら読んだ。






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哲学への回帰

≪日本人が豊かさを実感できないのはなぜか≫

戦後、日本は豊かになり、世界でも有数の経済大国になりました。私どものアメリカにある子会社と日本の会社を比べますと、そのことを実感させられます。工場の製造要員も含めて、平均賃金は日本のほうがはるかに高いからです。一ドル=八五円での計算ですが、アメリカ東海岸のサウス・キャロライナにある子会社と日本の会社では、日本賃金がアメリカの二倍になります。経済大国といいますが、賃金ベースで見ると日本はアメリカを追い越しているわけです。

しかし、それでも日本では「豊かさを実感できない」という言葉を聞く。
「日本の経済規模が大きくなり、経済大国になっているけど、豊かさを実感できない日本になっている」と述べられています。




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衣食住が足りずに、餓死したり、凍死したりする人は、ほとんどいない。馬車馬のように一日18時間も20時間も働かなければ生計が成り立たないという会社でもない。これを「豊かな社会」と呼べないでしょうか。ここまできたなら、やはり「豊かな社会」に到達していると考えるべきです。
どうして、そうなのかを考えてみますと、日本人は、すでに手に入れた豊かさは棚に上げておき、自分の持っているものの他の何かを求める。また、客観的な豊かさの基準があると思い込み、「もっと豊かさが欲しい」と思っている。だから、「豊かさが実感できない」のではないでしょうか。と稲盛氏は言っています。

本来、豊かさというものは主観的なものであって、絶対的な基準などは成立しないはずです。また、豊かさは天から降ってくるものではなく、地に積み上げられるもの、つまり、自分で作り上げるものでもあります。

仏教では「足るを知る」といいます。この言葉をわれわれはいやというほど聞いたはずなのですが、現実には足ると知らない人が多いようです。だから、「豊かさを実感できない日本人」ということになるのです。

極端なことを言えば、足るを知らない人、あくまでも不足を感ずる人は、どんな状態にあっても豊かだと思わないわけですから、永遠に豊かさを実感できないということになります。結局、「足るを知る人」にしか豊かさは実感できない。

「足るを知る」の反対に位置する「足りるを知らない」というのは「利己」(エゴ)ということです。利己になれば、自分だけの利を追求することに汲々とし、『利』を支える理屈に合うか合わないかという基準に立って判断するようになります。そうなるといつまでも足ることを知らないままになるのです。と書かれています。



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確かに、稲盛氏が言われるよう、今の世は私も含め「足るを知らない」人が多いように見受けられる。新しいものが出れば行列になるし、まだ、使えるのに買い替えたりしている方がいます。前回ブログで書きましたが、以前よりタブレット式Windows 8のパソコンが欲しく、近くの家電量販店に何度も足を運んだり、ネットで口コミをしたりしている。また、先日腕時計の曜日が作動しなくなったことで、デパートの時計売り場を見てはどれを買おうかと思っていた。

しかし、今は考えが変わりました。別に買わなくとも、いまのノートパソコンで十分ではないか、また、時計だって日にちが動かないだけで、少しは不便さを感じるが、日にちを覚えることで、頭の体操にもなると思っています。



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