子日わ 徳の修まらざる 学を講ぜざる 義を聞きて徒(うつ)る能(あた)わざる、不善の改(あらた)むる能(あた)わざる、これ吾が憂いなり。

子日わ 徳の修まらざる 学を講ぜざる 義を聞きて徒(うつ)る能(あた)わざる、不善の改(あらた)むる能(あた)わざる、これ吾が憂いなり。



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[口語訳]
先生がおっしゃった。『道徳の修養ができない、学問を究められない、正しいことを聞きながらそれを実行することができない、間違ったことをしたと分かっていてそれを改めることができない。この四つのことが私の心配である』

孔子ほどの人物でもこのような憂いがあったのかと驚きます。徳が修まらない。学問が進まない。正しいことがわかっていながら行動にうつせない。よくないことを改められない。孔子は常に、どう生きるべきか、自分の人生に真剣に向かい合っています。この四つの事柄を見ただけでも、その真剣さがうかがえます。孔子にとっては、いかに生きるべきかを考え、よき人間になるということは、人生の最大の目標だったかもしれません。だからこそ、毎日弟子の教育をしながらも、自分自身がどうであるかを腐心していたのだと思います。

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こんな孔子の姿を、弟子たちはいったいどうみていたのでしょうか。弟子にとって、孔子は理想の人であり、憧れです。その人物が、これほどまでに努力している姿を見せるのであれば、自分たちも頑張らなければと思ったかもしれません。あるいは、とてもあんなふうにはなれないと、心くじけたかもしれません。

孔子は思想家であり、学者であり、また、政治家でもありました。一度たくさんのことをこなしていた孔子にとって、教育者としての一面は、手間も時間もかかる仕事だったと思います。若い弟子を導くために、孔子はまず、自分がどうあるべきかを考えていたことでしょう。自分が真剣に学ぶ姿勢を見せること、それが孔子にとっての教育だったかもしれません。孔子のような人物が学問が修まらないことが悩みだったとしたら、あとからついてくる弟子にとっては苦痛だったかもしれません。逆に、孔子はどの人でもこんなことで悩んでいたのかと、ほっとした弟子もいたかもしれません。孔子に生き方は、、そばにいる弟子にとっては、とてもよいお手本だったでしょう。


孔子


孔子の憂いていた四つのこと。これは今の私たちにとっても、大切なことです。常に自分を振り返り、自分自身に向き合う心の余裕を持ちたいですね。謙虚さを忘れてしまったら、成長はありません。わかっているのに、なぜできないのでしょう。せめて孔子の弟子になった気分で、孔子の言葉に触れ、その生き方を眺められたらいいですね。それでも、きっとよい影響が受けられるでしょう。



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