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身体感覚で論語を読み直す。

身体感覚で論語を読み直す。


IMG_6889.jpg



「論語」の中に
「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」

001.jpg




今から2500年前、孔子の時代にはなかった漢字が含まれます。「四十にして惑わず」です。 
漢字のみで書けば「四十而不惑」数字にして五文字です。孔子の時代には、存在しなかった文字があります。それは「惑(わく)」です。孔子は四十にして「惑わず」といわなかった、そんな可能性もあります。

「惑」ではないとしたら、孔子はどんな漢字を使ったんだろうか?推測してみるのです。
一番簡単なのは、編をとってみるという方法です。「惑」の漢字の偏、すなわち「心」を取ってみる。
「惑」から「心」をとると「或」になります。

古代音がわかる辞書を引くと「惑」と「或」は同音らしい。
そして「或」ならば孔子の活躍する前の時代の西周期の青銅器の銘文にもあります。
さて、では「或」とはどんな意味なんでしょうか。その古い形はこんな形になります。

004.jpg




「或」004.jpg 」の右側は005.jpg 「戈(ほこ)」であると漢字学者の白川静氏はいいます。


005.jpg


また「弋(矢)」で境界を表すという説もあります。



004.jpg 口の上下にある「一」が境界を表すといいます。

子どものころ地面に棒で線を引いて「ここからこっちは俺の陣地、入るな」とかやったでしょ。あれです。棒の代わりに武器である戈を使いました。

この「或」を「口」で囲むと「國(国)」になりし、「土」をつけると、地域の「域」になります。ともに「区切られた区域」をあらわします。「或」とはすなわち、境界によって、ある区間を区切ることを意味します。

分けること、限定することです。
四十、五十くらいになると、どうも人は「自分はこんな人間だ」と限定しがちになる。自分ができるのはこのくらいだ」とか「自分はこんな性格だから仕方ない」とか「自分の人生はこんなもんだ」とか狭い枠で囲って限定しがちになります。

「不惑」が「不或」つまり「区切らず」だとすると、これは「そんな風に自分を限定しちゃあいけない。もっと自分の可能性を広げなきゃいけない」という意味になります。
そうなると、私たちがイメージする「四十にして惑わず」の「不惑」とはずいぶん違う意味になります。





001.jpg

 








































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padme

こんにちは♪
面白いですね・・・

こんな風に深くお勉強すると色んな解釈ってこともあるんですね・・・
勉強になりました。。。

あ・・・ いつも私が食べ歩きしてるからみたいに書かれてますけど
普段は本当に質素だし家では好きな物も自由に食べられないから2重出費になるのに
アパート借りたりしてるのでその辺の苦労・・・ わかってもらえますか? 笑
こんなに長く親が生きてるとは思わず始めた事ですが もうかなり大変ですわw

それでもやっぱり食に関する欲求は一番の私の薬です♪

2016/09/20(Tue) 12:05

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博士

Re padmeさん

padmeさんへ

こんにちは。
書道を習っていますが、漢字も3000年前からあります。
その中で一番古い「篆書」という字を書いていて、
漢字の歴史を勉強したくなり、難しい課題に取り組んで
います。なんど読んでもわかりません(笑)

北海道にお住まいなので海の幸の美味しいものがいつも
紹介されています。まぁ~こちらで食べたらかなりの
金額になると思っていつも見ています。
うらやましいしだいです(笑)

2016/09/23(Fri) 15:56

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