子日わく 賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、
子日わく 賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり


『論語』は2500年前、孔子と弟子たちのやり取りの記録を編纂したものです。


【漢文】
子曰、見賢思齊焉、見不賢而内自省也。

【現代訳】
先生がおっしゃった「優れた人を見れば、その人と同じようになりたいと思い、そうでない人を見れば、自分も同じようなことをしていないか反省する」

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渋沢栄一氏の本には
「堅い人を見れば、徳を修めてその人と同じように優れた人になりたいと努力し、反対に愚(おろか)な人を見たら、自分も同じような短所があるのではないかと反省しなければならない。このような心構えでいれば、世の中の賢人も愚かな人もすべて自分の学ぶ手本として役立つものである」また、一歩進めて、古典を紐解き昔の賢人や悪人を見るのもよい勉強となる。いたずらに人の賢さをうらみねたんだりして修行を怠けたり、人の愚かさをあなどって自らを反省しないのは心の怠漫の最たるものである」

渋沢栄一氏は江戸時代末期から大正初期にかけての日本の武士官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立。生涯に約500の企業の育成に係わり、同時に約600の社会公共事業や民間外交にも尽力。(HPより)





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安岡定子先生
「賢」とは、知識や技術だけではなく、仁を身につけた優れた人物です。『斉しからんことを思い』とは、そういう人を見て同じようになりたいと思う、ということです。
優れた人に憧れたり、目標にすることは経験あると思います。逆に優れていない人、よきお手本には人物を見たときには、どうでしょうか?人の至(いた)らない点は、目につきます。それと同じことを自分がしていないかと反省することは大切ですね。

孔子の思想の土台に、常に「自分を省みる」という姿勢があります。良いものも悪いものも、自分の行ないを振り返る材料にしています。人は至らない人を見ると、他人事のように思いがちです。でも、孔子は、むしろ悪い例こそ自分の行ないに重ねることが大事なのだと、弟子たちにも語っています。




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他人から指摘されるのも苦手です。あるいは、自分の欠点に気づいていない場合もあるかもしれません。でも、『人の降り見て我が身を直せ』ということわざのように、自分以外の二兎がいるから自分を見つめられる、あるいは、成長できることもあります。孔子は、自ら省みるという行為を常に実践していました。また、良き人物から学ぶことを、とても重要であると考えていました。





子日わく 賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる



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