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子曰わく、人の過や、各々其の党に於てす。
〔 読み下し 〕

子曰わく、人の過や、各々其(そ)の党に於(おい)てす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る。

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【漢文】
子曰、人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣

【現代語訳】
先生がおっしゃった「人の過ちは、それぞれの仲間や心がけから出るものである。従って、過ちの内容を見れば、その人に仁があるかどうかがわかるものだ」

その人の失敗や間違いを見ると、そこに人柄が表れている、という意味です。
『其の党』とは、仲間とか、種類と考えるといいでしょう。

過ちにもいろいろあります。私利私欲を満たそうとして犯す過ちもあれば、思いやりや情が深過ぎるために犯してしまう過ちもあります。誰でも失敗や間違いがあることは孔子も認めています。そのうえで、過ちを犯さないようにする努力の大切さも、孔子は強調しています。
よき人物、つまり君子とは、過ちを速やかに改め、さらに過ちを少なくしようと努力するのです。





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渋沢栄一氏の「論語を生かす私の方法」の中には下記のように書かれてある」
明治維新の豪傑、西郷隆盛は仁愛に過ぎて、その結果過失に陷ったと思われる。彼はあくまで人に親切で、部下の青年に対してもあまりに仁愛に過ぎた。一身を同士仲間を犠牲にして捧げ、明治10年の「南西戦争」は起きたのである。木戸孝允も仁愛の傾向があったから、過失があったとしたら仁愛に過ぎたことからきたものである。

そもそも仁愛に過ぎると残忍に過ぎるのと、どちらがよいかといえば、仁愛に過ぎて過失する人の方が良いことは当然であるが、本項で孔子が「子曰わく、人の過や、各々其の党に於てす。
過ちを観て斯に仁を知る」と言っているのも、この意味である(党=同類)人はたとえ過失をしても、それが仁愛に過ぎたことから起こったものでなければならないと論している。




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『訳文』
人はよく同じような場面で間違いを犯す、その間違いを観察すればその人柄が理解できる


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