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子曰わく、学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。
〔 読み下し 〕
 子曰(しのたま)わく、学びて時に之(これ)を習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
朋遠方(ともえんぽう)より来る有り、亦楽(また)たのしからずや。人知(ひとし)らずして慍(うら)みず、亦(また)君子(くんし)ならずや。 


【原文 】
子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦樂乎。 人不知而不慍、不亦君子乎。

〔 通釈 〕
孔子先生がおっしゃった『学んだことをいつも繰り返し復習していると、理解が深まっていく。なんと嬉しいことでしょう。同じ志を持った友人と楽しく語り合える。なんと楽しいことでしょう。人が自分の努力や実力を認めてくれなくても、そんなことではがっかりしない。自分の為に努力をし続けられる人こそが君子です』


『学びて時に之を習う、亦説ばしからずや』とは、古典や歴史を学ぶと、自分が知りたかったこと、あるいは、いかに生きるべきかのヒントがわかる。それを実感できたら何と嬉しいでしょうという意味です。


論語より (2)




安岡定子先生は子供論語塾で小さなお子さんと一緒によくこの章句を読まれますが「之」をいう部分に「自分が今、頑張っているものや熱中しているものを入れてみましょう」と、お話されます。たとえばサッカーですと、毎日、朝から晩まで夢中になって練習をする。そうすると、うまくなったなぁ~、と実感できるときがくる。それは何と嬉しいことでしょう。そんなふうに考えると分りやすいのではないでしょうか。と。

「朋遠方より来る有り、亦楽しからずや」の「朋」(とも)というのは、同じ先生のもとで学んでいる同門の友人、同じ志を持って学んでいる人のことです。安岡定子先生は、一緒にサッカーの練習をしている仲間と語り合えたら、何と楽しいでしょうか。ということですね。と、おっしゃっています。



論語より (1)


最後の章句「人知らずして、慍(うら)みず、亦君子ならずや」という部分は、人間は、子供も大人も、人から認めてもらいたい、褒めてもらいたいという欲求を持っています。たくさん努力している人、その成果を見て欲しいと願います。

先ほどのサッカーの例でいいますと、一生懸命練習して、晴れて試合でシュートを決めたのに、その日に限って親が試合に見に来てくれなかったとか、コーチが褒めてくれなかったというのは、お子さんにとっては一大事なんですね。でも、子供たちに「褒めてもらわなかったら、サッカーを辞める?]と私が聞くと、「絶対やめない」と答えます。
「どうして?」とさらに聞くと、「だってサッカーが好きだもん」「うまくなりたいからやっているんだよ」と言います。

褒めてもらいことはもちろん嬉しいけど、それが第一の目的ではないのです。
君子というのは(君子とは立派な人)いかに生きたらいいか、よき人物になるにはどうしたらいいかということを追究し続ける人を指します。君子は人に褒めてもらうことを一番の目的とはしないからです。



論語より (8)


この章句は、学ぶことについて触れてあります。「学習」という言葉はここから生まれてきました。安岡定子先生の論語より


【学びて時に之を習う】
 「習う」 と字を分解すると「羽」と「白」になります。白川静先生の説によると、「白」は「日」の変形だそうです。「羽」は祈祷に使うお礼をこするもので、「習」という字は祈祷の様を表す文字だとしています。つまり「習う」とは、自分の言葉が神に通じるまで、何度も何度も祈祷の礼を羽根でこすること。「繰り返す」という意味になるそうです。

別の解釈もあり、「白」は「自」を借字したものとも言われます。「白」としたのは、まだ色がついていない雛鳥が何度も羽を動かして飛ぶ練習をしている様だ、という解釈です。いすれにしよ「習う」とは「繰り返し行う」という意味ととらえることですね。
学ぶことにおいては、反復練習が一番のポイントだと、孔子は説いています。


論語より (9)






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Comment - 4

eco

No title

子曰わく、学びて時に之を習う、亦説ばしからずや、、
この章句は聞いたことがありますね。
一つ一つをじっくり読み解くと、その通りだなあと思いますね。
今の自分にもよくあてはまる気がします。
学ぶとは、反復練習がポイント、
良くわかっているのに出来ていなくて改めて反省もします。

博士さんは、毎日論語を読んでいらっしゃるのですね。
私はここで読ませていただくだけで、頭が混乱してしまいます。

「習う」とは、自分の言葉が神に通じるまで、、とありましたが、論語は、神?仏さま?
変なこと聞いてごめんなさい(^-^;

2016/02/11(Thu) 20:03

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map

こんばんは

博士さん、こんばんは。
これはよく聞く文章ですね。
学校でも習ったかもしれません
でも普段論語に触れることはありません。
博士さんがわかりやすく説明してくださってるので、理解できます。

子供たちもこれを学べば、大人になってから反省をしないで済むかもしれませんね^^;
サッカーを学ぶのは好きだからできるけれど、勉強を学ぶのはなかなかできないかも・・・
それを自分のためなのだと理解するのは、子供の時は難しいことですね。
昔の寺子屋に通った子供たちは、これを学んだのでしょう?
しっかり身に付いたのでしょうね・・・

2016/02/11(Thu) 22:51

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博士

★ecoさんへ

★ecoさんへ

論語は500章句あり、その中で今回の章句は一番に書かれている
章句であります。たぶん聞いたことあるのではないでしょうか。

そうなんです、ひとつひとつ読み解いていくと少しづつ理解ができますよね。
私は何度も何度も読んだり、意味を調べたりしています。しかし、歳のせい
もあってなかなか頭に入りません(笑
反復練習をしているんですがね?やはり歳を取るとだめですね(笑

「習う」を白川静先生の説によって書かれたので「神に通じる」となってい
ます。
論語は神でもなく仏でもありませんよ。ただ、お位牌は儒教からきたと書か
れてありましたね。
儒教とは 中国古代の儒家思想を基本にした学問で孔子を始祖とする思考・信仰の体系です。

2016/02/12(Fri) 04:59

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博士

★mapさんへ

★mapさんへ
こんにちは。
この章句は学生の時習われた思いますよ。
それから論語に触れることはなかったでしょうね?
私も、京セラの創業者の稲盛さんの本を読まなかったら、
たぶん勉強はしていなかったことだと思います。
安岡定子さんも論語塾で、お子さんが小さいころ身体で
覚えたのは、大人になっても記憶に残っていうので、大人
になってから役立つとおしゃっていますね。

そうですよね。自分の為にと理解するお子さんは少ないでしょうね。

論語は江戸時代に寺子屋で盛んに勉強されていたようですね。
また、徳川家康は論語を勉強されたと・・・NHK歴史秘話
ヒストリアでやっていましたよ!!!

2016/02/13(Sat) 15:55

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