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子日わく 仁遠からんや 我仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る

【書き下し文】

子日わく 仁遠からんや 我仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る 


『論語』は2500年前、孔子と弟子たちのやり取りの記録を編纂したものです。

【漢文】 子曰、仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣。

【現代語訳】
先生がおっしゃった「仁は私たちから遠く隔たったところにあるものだろうか?いや、そうではない。自分から進んで仁を求めなければ、仁はすぐに目の前にやってくるのだ」。

『仁』とは、おもいやりの気持ちのやさしい心のことです。「論語」の中には頻繁に出てきて、孔子がもっとも大切に思っていたものです。

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人は皆よい資質を持って生まれてきます。その資質の中に仁も含まれています。「仁、思いやりの心」という後天的に備わるものではなく、みんなが生まれながらにして持っている心だということです。ただ、みんなが生まれながらに持っている資質も自分で磨いていかなければ失われていくと考えました。
磨くといっても、何か特別なことをするわけではありません。たとえば、もし、困っている人がいたら声をかける、手を貸す、重い荷物で困っているおばあさんを手伝ってあげるのも「仁」です。小さな子が一人で道路を渡ろうとしているのを見て、少し立ち止まって安全かどうか見守ってあげるのも「仁」です。

実際に行動するには少し恥ずかしかったり、勇気が必要かもしれませんが、何かしらの行動を起こすことが大事です。このように、当たり前のことが当たり前にできることが、やがて仁を育んでいくことになっていくのですね。よい習慣がよい人格をつくっていくといってもいいでしょうか。やはり、日々の生活習慣が大切ですね。
「優しい人になりたいとか、思いやりの気持ちが大切なんだ、と思ったときから、心の中に仁は育ち始めるんですね」


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孔子は常に、どんな知識があっても、優秀でも、仁のない人になってはいけない、と言っています。
孔子の若い弟子の子夏(しか)に『汝、君子の儒となれ』と言っています。「儒」とは学者です。「学者になるのであれば、ただ知識だけを修めるのではなく、君子の学問もしなさい」と言っています。他人のことはどうでもいいと考えるような人は、どんなに学問しても君子になれないということでしょうか。(定岡安子先生のやさしい論語より)

『君子』は学識・人格ともにすぐれた、りっぱな人。

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