早書道教室に行き始め6ヶ月になちゃいました。


月日の経つのは早く、今年3月から習い始めた書道教室、早いもので6ヶ月が経ちました。

なんとなく、少し上達したように思います。

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11月には文化祭が開催されるので、それに向けて練習中です。

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課題は二つあり、中国の古典をひとり五文字書くことになっています。

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私は「袂雲旨有風」
何度も練習していますが、なかなか上手に書けません。

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あと、個人の出展は「克己復礼」です。

6月から論語を読み始めその中に「克己復礼」と書かれている言葉に魅力を感じ、先生に手本を書いていただき、練習しています。

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「克己復礼」の意味は
己に克ち礼に復る。
自分の良心、理性に従って様々な欲や私心、煩悩を省き、それによって精神全体の調和へと復ること。

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いろいろ調べてみると。
人間がその人格を高めるための手段。
孔子の説く礼は一般にいわれるような社会の規範や規則のような表面的なものではなく、真の意味での礼である。
礼の本来の意味は「心から自ずと生ずる自発的規範」であるということが重要なのであり、これは私欲に覆われぬ心、即ち良心と一である。

また、己に克つとは欲や私心に克って本来の自分に復ることをいう。
単に世間の規範に従うというだけならば、外にあるものに従うだけのことであるから、己というものは少しも必要はない。
だが、真の意味での礼に適うということは、確固たる自分というものを持っていなければ決して為すことはできないのである。
孔子が「己(の身勝手)に打ち克って礼にかえることが人徳につながる」と論語の中で説いたもの。
謙虚にして積極的に生きるこの姿勢こそすべての向上の源泉である。と書かれてありました。




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Comment 5

map

こんにちは

博士さん、こんにちは。

手習いのお習字、素晴らしいじゃないですか!
先生のお手本と変わりませんね。
小学校や中学校でもお習字の時間ってありましたよね。
そのころから好きだったのですか?
わたしも小学校の頃習いに行ってました。
かな文字の流麗さにも憧れます。
男性だからかなはやらないのでしょうか?

論語は難しそう・・・手に取ることもしないでしょうね(^_^;)
大体書かれてることを読んでも、何度も読み返さないと意味が・・・(>_<)

2014/09/16(Tue) 16:19

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mari

No title

博士さん、こんばんはー。

日々精進されていますね。
本当に頭が下がります。
筆を持ってるときは「無」になっていませんか?
わたし、この「無」になる時間が好きです。

やはり、最後は、自分をどこまで高めて生きていくか。
博士さんのところにくると、襟が正されて、また、私も日々精進していこうと思います。
日々の努力しかないですよね。
気が付いたところから、努力していきたいなって思うこのごろです。

稚拙な言葉でしか表現できなくて、恥ずかしいですが、
博士さんが教えてくれた
サミエル・ウルマンの
「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。」
時々、思い出して、発心の日々です。

2014/09/16(Tue) 19:41

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博士

★ mapさんへ

★ mapさんこんんばんは。

60歳からの手習いです(爆
昨年から何か日本の文化を習おうといりいろと考え、華道、茶道、書道と考えましたが、その中で一番なじみやすいと思って習い始めました。

書道教室は週に1回です。
そして自宅でも週に一度だけ練習していましたが、7月書道展を見に行き、刺激を受け、いまでは週に3~4回ほど練習しています。
今日も先ほどまで練習してしていました。今月の課題ですが。

論語はなかなか難しいようで、ほんと何度も読みな返さないと意味が解りません。1ページ進むのにも、いろいろネットで調べたりしながらですので、かなり時間がかかっています。しかし、今、書道と論語には夢中になって、はまっていますよ(笑

2014/09/18(Thu) 17:33

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博士

★ mariさんへ

★ mariさんこんばんは。

「無」そうです。座布団の上で姿勢を正し、筆に墨を付け、先生の手本を見ながら筆をしべらす時間は無です。この「無」の時間が、非日常的で好きです。
60になって習い始めた習字ですが、今は幸せに感じる日々を送っています。

>やはり、最後は、自分をどこまで
>高めて生きていくか。
そうだと思います。私が尊敬する稲盛和夫氏も同じようなことを言っています。また、稲盛氏は「だれにも負けない努力」とも言っています。今まで自分は努力はしていたつもりでしたが「誰にも負けない努力」となると、ふと、やっていないことに気づかされ、今は、毎日少しでも、1㎝でも精進し誰にも負けないよう努力をしてまいろうと思っています。

サミエル・ウルマンの言葉は20代のとき出会い、このような生き方をしなくてはと思っています。まして、60になれば(笑)心に刻む言葉だと思います。

2014/09/18(Thu) 17:56

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博士

★ mariさんへ

mariさんへ

つづきです。
論語の本にこのようなことが書いてあります。

『大學の道は、明徳(めいとく)を明らかにするに在り。』

『大學の道』とは、『人間はなぜ学ぶのか』という問題提起。その答えは『明徳を明らかにすることにあり』としています。

では、『明徳』とはなにかという話しをします。「他者を大事にしなくてはならない」「自己の最善を他者に尽くしきる、徳のある人」と書かれてある。
その、明徳をしっかり習得し、実践していかなければ、世の中でうまく生きていくことはできません。
前後するが、社会は自分と他者で構成されています。もし、利益ばかりを優先する人がいたら、周囲はどう思うでしょうか。「何だ、あいつは自分のことばかり考えて、身勝手だと」と書かれてある。


[現代語訳・補足]
君子が実践する大いなる学問の道は、天与の徳(良心・仁)を明らかにする事が目的である。更に、自分の人徳を高めるだけではなく、一般の人々を教導して一日一日の道徳的な進歩を後押ししなければならない。大学における学問の目的とは、自らの修己と他者の啓発・徳化とを両立させる至善に留まり続ける事にこそある。

論語より

2014/09/18(Thu) 18:01

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